公益財団法人 日中友好会館 JAPAN-CHINA FRIENDSHIP CENTER
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総合交流部
 

2008年日本青少年代表団が訪中 参加者の感想

 
  <重慶コース>
●一番印象深かったのは、永川中学校との交流です。ホームビジットの相手の子Mianは初対面なのに、私を安心させてくれるように、ずっと手を握っていてくれました。食事後は、Mianとその友達とたくさんの会話をし、とても楽しい時間を過ごしました。一緒にダンスしたり、日本と変わりなくふざけ合ったりと時間が経つにつれて、お別れしたくないという気持ちになりました。しかし、時間は止まってはくれませんでした。笑ってお別れすると決めていましたが、次から次へと涙が出て止まりませんでした。(愛知県2年女子)
           
●ホームビジットでお世話になったパートナーやその家族は私を手厚くもてなしてくれ、私を家族のように思ってくれました。私の手では抱えきれないほどのお土産を渡してくれて「またいつでもおいで」、「次中国に来たら連絡してくれ」などうれしい言葉をかけてくれました。私はその言葉に感動したのと同時に自分の思っていた中国人と掛け離れていることに気付き、私が思っていたのはほんの一部の人だけのステレオタイプにしかすぎないのだということに気付きました。私はもっと広い視野を持たないといけないと思い、どの国だろうと人は温かいことを改めて実感しました。(愛知県1年 女子)

●互いの母国語が異なり、片言の英語とペンと紙を頼りながらの学校交流。そんな中でもなにより、「笑顔」って大切だなぁと思いました。言葉が通じなくても、初めて話す人でも、まずは「笑顔」。それだけで心が通じた気がしました。学校交流でまず驚いたのは、中国の高校生はみんな積極的だということです。次から次へと自分の学校のこと、家族のこと、中国のことを話してくれました。また、「こんにちは」「ありがとう」など、日本語で挨拶したり、日本のことを知ろうといっぱい質問してくれたりしました。それに答えるために私たちも必死で、電子辞書を片手にジェスチャーを交えて一生懸命説明しました。短い時間の中での交流でしたが、最後にはアドレスを交換し、日本に帰ってきて早速メールが来ていたときは本当にうれしかったです。(愛知県2年 女子)

●国際交流に必要なもの。それは、「人」対「人」の交流だと思います。もしそれが無かったら、国どうしの交流は、空虚なものになってしまいます。一体なにと交流しているのか、わからなくなってしまいます。 具体的に「人」と直に交流する事で、国際関係は、より密になると思います。高校生訪中代表団としての自分の使命は、こうして学んで、考えたことをできるだけ多くの人に伝えることです。多くの人と経験を共有することで、今回の訪中は、さらに価値のあるものになると信じています。(石川県2年 男子)

●現段階では教育レベルは中国の方がはるかに上だということを痛感した。ただ、教育に力を注ぎすぎて人間性の発達が遅れているとも感じた。日本人は自分を積極的に表現しようとしないかわりに、他人の言動から自分を成長させることができる。受身の姿勢はよくないとか、周りの顔色ばかりをうかがっていてはいけないとよく言われるが、一概にそうとはいえないのではないか。相手を常に思いやることが日本の良いところであり悪いところであろう。日本を国際的な目線で客観的視点から見ることができた。今回の訪中は日本を見つめ直すいい機会であった。教育と人間性のバランス、国際協力、どちらも今後大切となってくるはずである。(石川県2年 男子)

●ホームビジットでお世話になった家族は、初めて会う外国人である私をとても暖かく迎えてくれた。昼食ではこんな言葉をかけてくれた。「Be my family」(家族のように思って)。緊張している私を優しく包み込んでくれるような言葉だった。その時の昼食は、どんな豪華なご飯よりもおいしく感じられた。
(石川県1年 女子)

●「英語は世界中の人々とコミュニケーションをとることができる素晴らしい言葉。だから英語を勉強し、話すことはとても大切なことなのだよ。あなたの英語はまだまだだから、日本に帰ったら英語の勉強に励まなければならない。全ては君の努力次第!だから、いつか僕が日本に訪れるまでに、梢はうんと勉強して、その日を迎えることができたら、その時は日本の素晴らしい所を案内してね!」と、私は重慶外国語学校との交流で仲を深めた中国人の友達と約束をした。いつかこの約束が叶う日が来るまで、私は英語の勉強を一生懸命頑張ろうと思う。そして、この友情をいつまでも大切にしたいと思う。(石川県1年 女子)
 
●今回は訪中代表団の一員として、行かせてもらったわけですが、たまに私などが代表でいいのかと考えたり、逆に、おおげさですが、私は日中の未来を背負っている者の1人なのだと思ったりして涙があふれてくることがありました。中国の方々は、本当に私の想像をはるかに超え、優しく、厚く(熱く)歓迎してくださったのでした。その歓迎、もてなしがなければこみ上げるものもなかったはずです。(滋賀県2年男子)

● 北京で開催された日中青少年友好年開幕式の中で、茶道交流会が行われた。日本の茶と、中国の茶のスタイル、味わいなどを比較し、両国の文化の違いについて考えるという企画のもと進められた茶道交流会。その会の代表に推薦された僕は幸運にも胡錦濤国家主席と会する機会に恵まれ、共に日本茶と中国の対極茶を頂いた。2つの茶を飲んだあとに胡主席と僕たちはこう話した。「日本の茶と中国の茶は、様式も味も全く異なるが、相手のことを思いやって茶を淹れるというのはどちらも変わらないことだ」。それと同じように日本人と中国人、その他の国の人でも、肌の色や言語、宗教、文化が違えど、こころの内は変わらないと、僕は思う。(滋賀県2年 男子)

●食事の後、私は勉強してきた中国語でスピーチしました。スケッチブックに自己紹介や、日本や滋賀県の紹介、家族、家、ペット、日本の行事などの紹介を書き、中国語で説明できるように練習しておきました。ぎこちない中国語だったので、すべて理解してもらえたかどうかは分かりません。しかし、必死に私の話す言葉を聞き取ろうとしてくれました。当然ホストファミリーは、日本が、昔自分たちが住んでいる町に爆弾を落としたことは知っているはずです。しかし日本の文化や行事の説明をしたときでも、興味を示し、笑みを浮かべながら私の説明を聞き、質問もしてくれました。私はホームビジットをして、中国の家庭の温かさを感じました。(滋賀県1年 女子)

<四川コース>
●中国の文化の一部を自身が体験するということ以外にも、異文化を受け入れる姿勢の大切さを学べたきっかけがありました。それは北京月壇中学校での交流です。月壇中学校の生徒
は普段から日本語の教育を受けていて、歓迎会での挨拶は日本語で行っていました。さらに実際に生徒と話してみると、とても流暢な日本語で日本のアニメや漫画といった大衆文化について目を輝かせながら話していました。私はこれを見て、中国人は日本文化を積極的に知ろうとし、楽しもうとしていることを自分の目で確かめることができたと思います。(東京都3年 女子)

●私の交流以外の目標は、隣国の中国を観察することだった。中国という国は、人口が多い分だけダイナミックで、町をみていても活力であふれていた。印象的だったのが、北京市内の一角で十台以上の大型クレーンがあちらこちらで高層ビルを建設していたことだ。夏の五輪への意気込みももちろんあるだろうが、「これから」を予期させる大国のパワーが感じられた。(東京都2年 男子)

●交流の際、私はとある男子学生に日本人の印象を尋ねた。日中の両国間にはこれまで様々な問題があった。中国の人たちにとって日本の印象は決して良いものではないだろうと思っていた。しかし、その学生からは思わぬ答えが返ってきた。「日本人は、優しい。とてもやわらかい」と、照れくさそうなその笑顔は素のままの気持ちを語っているように見えて、私はまた泣きそうになった。私は彼の言葉通りの人間になれていたのだろうか。日本人として恥をかかないように、今はまず国内交流を通じて日本人同士互いを高め合うことに徹したい。あの学生の言葉の通り、やわらかく、優しい日本人であるために。
(東京都 2年 女子)

●長い夢のような日々は濃密で、あっという間に終わってしまった。この体験の記録は消えても、僕自身の体に残ったたくさんの経験から受け取った温もり、やさしさ、笑顔、悔しさ、何より感謝は二度と忘れられない。この日本と中国の交流は始まったばかりで、これからたくさん僕らと同じような学生が中国に派遣されるわけだが、僕自身もっと多くの人に本物の中国に出合ってほしいと思う。なにも今回の訪中だけで中国のすべてが見えたわけではない。だからこそもっとたくさんの目で、たくさんの切り口から中国という国を見て欲しいと思っている。すると日本の姿も違った切り口から見られて、自分の人生の幅を広げられるに違いない。
(福岡県1年 男子)
●成都第七中学校で私は4人の学校の生徒さんに声をかけられた。笑顔ですらすらとした英語で話しかけてくれていたその時に、私はうまく理解することが出来ず、真面目な会話が少しも出来なかった。身振り手振り、片言の英語でもどうにかなると、私は安易な気持ちも持っていたと思う。すぐ近くで、他県の子が楽しそうに会話を弾ませているのを見て本当に辛かったし、自分の今まで過ごしてきた無駄な時間を悔やんだ。会話が成り立たず、せっかく側によってきてくれた女の子達の困った顔は忘れられない。なぜもっと勉強しなかったのだろう、そうすればこの交流でもっともっと多くのことを知ることができ、理解し合うことができたはずなのに、そう思うばかりだった。このままでは終わりたくない。もっともっと勉強して、自分の国のことを相手の国のことを、相手の気持ちを知りたい、そう思った。そして、そう気付けたこの経験ができたことに感謝している。(福岡県2年 女子)

●綿陽市南山中学校では数多くの生徒に迎えられました。授業見学の時、彼らと化学の実験をしました。言葉はなかなか通じませんでしたが、ジェスチャーを使ってコミュニケーションをとることができました。ホームビジットではホストファーザーの料理がとても美味しかったです。日本にある中華料理店の料理よりも、数十倍美味しかった気がします。ホストシスターは、私があまり英語を聞き取れなくても、何度も何度も言ってくれました。中国の家庭の温かさを肌で感じて、私は中国と日本の人々の優しさは全く変わらないことを知ることができました。(福岡県2年 男子)

●中国渡航前、中国は日本に対してあまり良い印象を持っていない国だと思っていました。特に戦争を経験しているおじいさん、おばあさん世代の方たちは、未だに日本を恨んでいるのではないだろうかと思っていました。そこでホームビジットの家族におじいさんとおばあさんもいたので、夕食後、公園に連れて行ってもらった時に、思い切って私は彼に「あなたの家族はみんな日本が好きですか?」という質問をしてみました。返ってくる答えはある程度辛いものであると覚悟していました。しかし返ってきた答えは「もちろん!みんな大好きだよ」というものでした。私はその言葉を聞いた瞬間、構えていた気持ちが、すっと解け中国が大好きになりました。「百聞は一見にしかず」というが、今回の交流で私の中国に対する印象は180°変わりました。メディアを通してみる中国という国と、自分が実際行ってみた中国とでは全く違いました。
(秋田県 2年 男子)
●今回の訪中での最大の出来事は、「日中青少年友好交流年」の開幕式に参加し、代表として胡錦濤国家主席と一緒に植樹したことです。前日から他の生徒とは別行動となり、当日は朝からリハーサルを行い、厳重な警備体制のもとで、時と共に緊張し足がすくむような思いでした。国民の盛大な歓迎を前に、自分がここにいていいのか不安さえ感じたくらいです。でも、実際の胡錦濤国家主席は、私の中国語のあいさつに日本語で答えてくれて、とても優しい笑顔を返してくれました。万里の長城へは行けなかったけれど、それ以上の貴重な体験ができました。(秋田県2年 女子)

●中国の生徒は夕方まで勉強し、一度家に帰りご飯を食べてからまた学校で夜10時まで勉強すると聞きました。ホームビジットでお世話になった生徒は、「もっと英語が上手くなりたい。難しい単語を簡単に説明できないのが悔しい」ということを言っていました。そのように言われて尊敬の念が強くなりました。全体的に日本人は勉強が好きな人が少なく、比較的に消極的で自分の意見をはっきり言えない人が多いと思います。勉強ができる幸福感や意見をはっきり述べる必要性を、今一度改めて認識するべきだと思いました。(秋田県 2年 女子)

●今回初めて中国を訪問し、毎日毎日、目に映る全てのものが新鮮で、多くの体験の中で学びがあり、気づきがありました。大連での歓迎レセプションでは私達と同じくらいの中国の人たちが夢を持ち、何事も意欲的に取り組む姿勢がとても印象的でした。できる限りの日本語や英語を使い、私たちに必死で何かを伝えようとする表情は輝いていて、どんな場所でも一所懸命に行動ができて本当に感動しました。
(福井県1年 女子)

●ホームビジットでは、家族の方々と一緒にギョーザを作り、食卓を囲んで、いろいろな話をしました。大連で行われるオリンピック競技の会場にも連れて行ってもらいました。言葉が通じなくても、分かり合おうとする気持ちがあれば、少しでも相手に伝わるものだと感じたし、このような貴重な体験をする中で、「やはり笑顔は大切だな」と思いました。今回の訪問で、以前より中国に興味を持つことができたし、今後の進路確定にもつなげたいと思いました。(福井県1年女子)

<大連コース>
●大連は中国でも有数の大都会と聞いていて、ある程度はイメージしていたのですが、行ってみるとその大きさにびっくりしました。ビルの数、人の多さ、車の数など、日本では見たことないくらいの数でした。車は旧型のものが多かったです。日本車もたくさんあり、日本のトヨタのすごさを改めて実感しました。経済大国として急激に発展している中国は問題も山積みですが、今、世界で一番伸びている国ということも実感。あと数十年したらもう一度行って、どれだけ変わったかを見てみたいと思いました。
(兵庫県 2年 男子)

●在瀋陽日本国総領事館を訪れた時、総領事が日本から中国東北三省への草の根無償資金協力の話をして下さいました。この協力は経済社会開発や民生の安定、福祉の向上などを目的に、現地の地方政府・学校・病院・NGOが実施するプロジェクトに対し、1千万円以下を限度として無償援助をするものだそうです。日本において1千万円以下で何かをするのは簡単なことではないはずですが、中国東北三省では小学校が2~3校建てられるというのです。今まで学校に通うことの出来なかった多くの子供たちが、学校に通えるようになったというのは、ものすごく大きな事のはずです。私はとてもうれしく思いました。
(兵庫県 1年 女子)
●大連の外国語大学を訪問していたときのこと、案内してくれていた学生に、「私達はここで毎日がんばって勉強しています。日本では学生は一生懸命勉強しているのか」と聞かれました。「一生懸命頑張っている人もいれば、そうでない人もいる」と私は答えました。「あなたはどうか」と、更に聞かれました。私は正直困りました。私も少しは頑張っているつもりです、けれども今私と話している彼に胸を張っていえる自信はなかったのです。「わからない」これが私の精一杯でした。「あなたはなぜわからないか。勉強は立派な人間になるためにするのではないか」彼は三度私に聞きました。中国にいる間いろんな学生と出会いましたがどの学生も彼のように強い意志を持って勉強する優秀な学生ばかりでした。私は驚きました。同じくらいの年なのに私と彼らとは全然違うのです。私は彼らを見習おうと思いました。(山口県 1年 男子)

●この交流全体を通して驚いたのは、中国という国に既に日本の分身が住み着き始めている、ということです。思っていた以上に、中国と日本は結びつきが強いのだ、と感じました。日本語を専攻している大学生は、外国語の一環として日本語を習っているだけではなく、将来日本と関わるため、例えば将来日本の企業に就職して活躍するためなど、日本と繋がりをもつ具体的な目標のために日々頑張っているのだ、と分かりました。買い物をしに行った店でも、片言でも日本語を話せる人が本当に多い。商売のための手段だとしても、それが本当に嬉しい。過去の隔たりがあろうとも、日本に対する興味・関心は今の中国でとても高いのだ、と感じます。(山口県 2年 女子)

●出発する前は正直、餃子の事件があったことや空気の汚染、黄砂などで、楽しみである反面、不安でもありました。一番心に残っているのは、瀋陽でのホームビジットです。とても温かく迎えてくださって、本当に楽しいひと時でした。晩ご飯のとき、餃子の事件の話になりました。「この餃子は安全だから安心して食べてね」という言葉に心が痛みました。一つの事件から、中国はこういう国だと決め付けていた自分が恥ずかしくなりました。国と国の交流というと、私たちにとっては大き過ぎる問題で難しい気がするけど、人と人との交流なら、私たち高校生にだってできるし、それが国際交流にとって一番大事なことなのだと思います。中国と日本、お互いの国についてたくさん質問しあって、聞くこと全てが新鮮で、それまでの先入観はみるみる変わっていきました。(山口県 2年 女子)

●中国行きが決まった時、周りの人々はよく中国への不満を言っていた。日本は中国産の毒ギョーザにより、中国に対しての意識が悪い方向に転がってしまった。しかし、だからといって中国全体を否定することはよいのだろうか?中国の大地に立った私が初めに驚いたのは白い空だった。いつも見ている空はそこになく、排気ガスが中国全体を包んでいた。しかし良い意味での驚きもあった。それは北京オリンピックに向けての姿勢だ。北京は近代化が進む町並の中にも古城の美しさがあり、それを誇りとしている中国人たちは熱い志をもち進歩しているのだ。本当の中国をみてから、中国について話してほしい。きっと見て感じないと分からないものもあるから。(鹿児島県 1年 女子)

●私の中の中国人のイメージは、すごく急いでいて、ずっとカリカリしている人ばかりだと思っていた。でもそうではなかった。ただ中国人は、人一倍あるいは人二倍頑張っているだけなのだということだった。中国の環境は決して良くはない。だけど中国の人々はとても親切で明るく、頑張り屋なのだと感じ、これからも日中間の友好が続いてくれることを信じて、若者である私たちが日中友好の懸け橋になれるよう頑張って行こうと思った。(鹿児島県 1年 男子)

●実際に広州に降り立ち、交通渋滞には閉口したが、最初に感じたことは、都市が持っているパワー、勢いのすごさであった。何か一つの目標、それが国家の高度成長なのか、自己の報酬なのかは定かではないが、それに向かって遮二無二走り続けているパワーを感じた。それとともに、空は灰色、空気はとても澄んでいるとは言えないことを身をもって経験し、日本の戦後の高度成長期も、これと同様だったろうと思われた。中国側ガイドの方が、「今年のオリンピックが北京に決まって本当に良かったと思う。中国人民のマナーが悪いことを、中国政府が正そうとしている。オリンピックがなかったら、そんなことはしなかったと思う」と意見を述べられていた。もし、機会があれば、10年後ぐらい、本当に発展した後の中国をもう一度訪れてみたい。(国家公務員・男)

●東莞市では、アメリカ西海岸と見まがうような町並みに暮らす御家庭を訪問させていただき現地の方と意見交換する機会を与えていただいた。それにより、中国の一般市民が日本及び日本人に対してどのように思っているかを少しでも理解出来たことは大きな収穫であった。最終目的地の北京における日中併せて2008人の青少年が参加した「2008日中青少年友好交流年開幕式」は、大変印象に残るものとなった。中華全国青年連合会の方が「全人代開催期間中は、北京市内に入るのも難しい」と説明され、宿泊先の北京飯店には政府要人も宿泊しているとのことで、部屋に戻るたびにセキュリティ・チェックを受けるような状況であった。そのような中、中国国民約13億人の頂点に立つ胡錦濤国家主席が、日中青少年の友好発展のために駆けつけてくださったことは、本当に感慨深いものであった。(国家公務員・男)

●私は経済界青年分団の一員として参加し、広州、東莞、北京を訪問させていただきました。広州において、ヤクルトの広州工場を見学する機会を得たのは、同じ食品メーカーに勤める私にとってよい知見を得ることができました。昨今の事情からやはり品質に対して過敏になっておられ、汚染による水質悪化の対策、社員の定着率の低下による頻繁な人材教育の必要性など、中国生産での品質管理の難しさを改めて認識しました。また、広州市は経済発展にインフラ設備が追いついておらず、電力供給が問題になっていることを聞き、広州市は一般的に言われている中国経済の問題点、経済成長と環境保護のバランスのジレンマを抱える典型的な都市だと思いました。(経済界・男)

●3月15日に北京の中国人民大学にて行われた開幕式の中で、中国側の盲目の青年が言った言葉がともて印象的だった。「中国人は平和が好きな民族だ」と。現在、中国ではチベット問題などさまざまな問題があるが、この平和という言葉は今の中国が一番求めているモノではないかと個人的に感じた。平和とは全世界共通だとは思うが、日中間でも今後、友好をより深め理解し合い平和というものを求めて行くことが、とても重要だと今回の訪中で考えさせられた。(経済界・男)

●現地の青年団や学生との交流を通じて感じたことは、歴史的事実の認識に差はあるとしても、私達が見るべきは未来であり過去を引きずって、真の目的である「両国の未来」を見失ってはいけないということ。青年団や学生の皆さんは日本のことを知ろうと日本語ならびに日本の文化を積極的に学ぼうとしている。果たして日本の同世代はどうだろうか?日本の経済発展のためにも中国は重要なパートナーであり、そのパートナーを知ろうとする姿勢については日本側にも問題はあるように感じた。訪中団に参加したメンバーとして、私に出来ることは周囲に対して、「両国の未来」に向けて、もっと積極的に中国の文化を知り、現地の方との交流を進めていく旗振り役を担うことだと強く感じた。もっとお互いを知り、言いたいことが言える土壌が出来てこそ、真の日中友好があるのではないだろうか。訪中団に参加した一員として今後も周りを巻き込んで積極的な交流を進めていきたい。(経済界・男)

●広州や東莞では、今日の経済発展がめざましい中国の姿をみることができた。テレビや雑誌などで中国の経済発展については見聞きしていたが、自分の目でその場面をみることができ、非常に貴重な体験をした。特に東莞は、今回の訪問で初めて名前を聞いた都市である。世界中へありとあらゆる製品を、そして膨大な量を送り出すそのパワーにはとても驚かされた。今回の滞在中、中国の方たちと交流する機会が少なく残念であったが、ホームビジット、そして通訳に入ってくれた大学生たちとの触れ合いはとても印象深かかった。特に、大学生たちの日本語能力の高さには驚いた。通訳は始めての経験で緊張したと言いながらも、立派に通訳を務めていたことに感心した。また、語学の能力だけではなく、広く日本文化の知識もあり、話題も豊富であった。このような中国の学生が日本の学生と積極的に交流できれば、よりよい相互交流が図れると思った。(地方自治体・女)

●一般的に“中国人は外国人嫌い”と言われるそうだが、実際に街に出てその通りだと実感した。道を聞いても物を買っても笑顔はなく、二コリともしない。かなりの時間と努力を費やしてやっと笑ってくれる。欧米流のまず笑顔であいさつし自己紹介までしてしまう文化や、日本での“いらっしゃいませ”“ありがとうございました”に慣れている私は、大陸の洗礼を受けた。信号などほとんどなく車の間をぬって歩く通行人や、買う気がないならさっさと帰ってくれと言わんばかりの店主のいるこの街に、晴々するような自由を感じた。初めて中国を訪れた私にとってこのダイナミズムがもう一度行きたいと周囲に言ってまわる原因になっている。中国はそういう意味で自由な国だと思う。だから未来にも自由を愛する社会であって欲しい。それが中国の魅力なのだから。(地方自治体・女)

●私は、中国がこれほど目覚ましい発展を遂げており、勢いのある国であるとは思っていなかった。今回初めて中国へ訪問し、私の中国に対するイメージは大きく変わった。まず1つ目は、中国が世界一になるんだという人々のパワーである。広州市経済開発区では、街をデジタル・製薬・新エネルギー・研究開発等5つの区に分け、複数の企業が連携、時には競合しながら、最先端の研究・製品開発ができるよう政府が積極的に支援している。同時に、将来性のあるベンチャー企業を当区へ招致し、世界進出できる企業へと育成する制度を整えている。2つ目は、自分たちが世界一になるんだという鋭さがある反面、訪中において出会った学生たちは、非常に素朴で温かく、親近感が持てる人たちばかりであったのが印象的である。訪問先の至る所で歓迎レセプションや交流の場を設けていただき、日本への留学を目指す学生や日本での就職を夢見る学生などひたむきに努力している学生たちに出会うことができ、逆に彼らから元気をもらった。(地方自治体・女)

●広州市の街並みと東莞市でのホームビジットで感じたことは、日本と比べて貧富の差が非常に大きいと思いました。東莞市でのホームビジット先は非常に裕福で、広州市と比べても東莞市自体がモデル的に造られた街のように感じました。また北京市においてはオリンピック会場や天安門広場を中心にかなり発展していたと思えましたが、一方で道路の状態もまだまだ悪いところもあり、少し足を伸ばせば未開発の地域も多かったです。このように課題も多いですが、やはり中国の人口と面積を考えると、今後更に発展していくであろうと感じました。(地方自治体・男)

●参加する前は、国を跨ぐ大きな行程であるにも関わらず、旅程に関する情報が直前になっても十分に届かなかったことから、参加する私だけでなく、周囲もやや不安に感じ、戸惑っていたというのが正直なところでした。しかし、現地に到着し、現地の皆様から大変な歓待をいただいたこと、そして多大なる御配慮をいただいたことから、その不安は次第に消えていきました。そして自分自身の中でも変化が起こり始めました。「暮らす文化習慣や言語も違うけれど、同じ人間として共通するところ」を中国の人々の中に、自然に探し求めていくようになっていったのです。バスのガイドさんのちょっとしたしぐさ、街行く人々が笑顔で会話をする様子、ホテルや食堂の従業員の方の丁寧な振る舞い、大学生の懸命な大学案内、職務を果たそうと懸命に努めるガードの方の表情、ホームビジットの生徒が初めての来客に恥らう様子など、数え上げればきりがないほど、まるで日本の人々と一緒に居るかのような錯覚を感じる経験を何度もしました。「同じだ!」と何度心の中で思ったかしれません。(教育関係・男)

●広州コースの一団は、広州から東莞を経由し北京へ移り日中青少年友好交流年の開幕式に参加した。厳重な警備の入り口を通過すると、中には色とりどりのスティックバルーンを持った日中の若者がたくさんおり、華やかなムードの会場であった。日中双方からの出し物は、我々を楽しませてくれたし、お互いの文化を知る良いきっかけとなった。しかし何と言っても最高に盛り上がったのは、会場に中国の胡錦涛国家主席が登場したときであった。それまで雑談をしながら楽しんでいた中国の高校生達までもが一斉に立ち上がり、手を振っている姿に圧倒され自分も立ち上がり手を振っていた。日本ではアイドルでも登場しなければ見られない光景であり、若年層の国家主席に対する尊敬の念は現在の日本の若者の及ぶところではなく、文化の違いを再認識した瞬間でもあった。(教育関係・男)

●今回の訪問では、広州での大学訪問、東莞でのホームビジット、北京での開幕式などで、日本語を勉強しているという学生さんたちと話す機会がありました。ほとんどの子が日本には来たことがないにもかかわらず、とても上手に日本語を話し、日本に対して「きれい」「技術が発展している」などのイメージをもっていると話してくれました。また、自分たちが住んでいる中国という国についていろいろ知っていて、さらに学ぼうとする意欲を感じました。中国についても、そして自分が住んでいる日本に対しても、知ろう、学ぼうとしていなかった自分がとても情けなくなりました。(友好団体・女)

●訪中前、歴史的背景や現在の両国を取り巻く様々な問題などにより、中国人は日本人をあまり好ましく思っていないのではないか、という印象を持っていた。しかし、交流の場面においてあたたかい雰囲気で私たちを迎えてくれたこと、私たちのために一生懸命に練習して歌や踊りを披露してくれたこと、日本語や日本文化に非常に興味を持って勉強している学生が多く積極的に交流してきてくれたことなどから、私が持っていた中国のイメージはがらりと変えられた。言葉は理解できないけれども、一生懸命に私たちをもてなしたい、という気持ちが伝わってきて、私たちをとても温かい気持ちにさせてくれた。
(友好団体・女)

●1週間にわたる訪中。印象に残ったのは、高校生たちの姿だった。北京では、記者団の一員として現地の高校への訪問に同行したが、見るからにいまどきの高校生たちが、積極的に中国人の高校生たちと触れ合う姿には感心させられた。また、(日本側の)記念式典の出し物も大変レベルが高く、この手の式典には国家的なエリートを投入してくるきらいのある中国側に決してひけをとらないものだったと思う。こうした経験をした若者たちは、中国に対する何とはなしの違和感や偏見をぬぐうことになるだろうし、将来の日中友好に資するという意味で、十分効果の高いプログラムだったと思う。(記者・男)

●中国で過ごした日々は、私にとって新しい体験の連続だった。どこの都市でも現地の方々から温かい歓迎を受けたのがとても印象に残っている。
最初に訪れたのは広州。在広州日本領事館の吉田総領事から広東省経済などの話をうかがった。経済成長が著しいことや、日本の自動車メーカーなど大手企業が進出していることを聞き、日本と深く関わりがあることを実感した。汚水処理場の視察は、環境問題に関心を持っていた私にとって勉強になった。見学した広州ホンダの自動車工場では生産ラインを間近で見ることができ、貴重な体験だった。
(記者・男)
 
 
 
       
 
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